大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問47 (日本史B(第3問) 問3)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問47(日本史B(第3問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章Aは、中世の法制と法慣習について学ぶノリオさんとセイコさんとの会話である。この文章を読んで、後の問いに答えよ。

A
ノリオ:鎌倉幕府が作った御成敗式目は、様々な規定を設けていたけど、全部で51か条だね。意外と少ないんだね。
セイコ:そうだね。ただ、御成敗式目は、( ア )が制定した当初の条目だけでなく、a その後多くの追加法が作られたんだ。そういうのを式目追加といって740か条くらいあるみたいだよ。
ノリオ:えっ?そんなにあるんだ。そういえば、今の国会でも、社会状況に合わせていろんな新しい法律ができるね。そういう感じなのかな。
セイコ:そうかもしれないね。ただ、同様の法が繰り返し出る場合もあるみたい。例えば、史料1は御成敗式目の制定からわりとすぐ出された式目追加だけど、以降も同様の法が何度も出ているんだよ。
ノリオ:中世には、武家法である御成敗式目だけでなく、律令の系譜を引く公家法や、荘園領主が自らの組織や荘園で発動した( イ )と呼ばれる法もあったんだよね。いろんな社会集団が法令を制定して、混乱しなかったのかな?
セイコ:それぞれの時期における各社会集団の影響力のあり方や関係によっても、b 法の機能のあり方が変わってくるのかもしれないね。

下線部bに関連して、公武による様々な時期の法や制度の運用の仕方に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

Ⅰ  臨機応変に出される綸旨が政権の決定文書として多用され、混乱や不満が広がった。
Ⅱ  異国警固番役が始まり、以前は対象外であった非御家人も軍事動員された。
Ⅲ  一条兼良は、幕府の裁判制度に対する意見などを書物にまとめ、将軍に与えた。
  • Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ
  • Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ
  • Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ
  • Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ
  • Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ
  • Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

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この過去問の解説 (1件)

01

Ⅰ 臨機応変に出される綸旨(りんじ)が政権の決定文書として多用され、混乱や不満が広がった。

→ これは、鎌倉時代後期~南北朝時代(14世紀前半)です。
後醍醐天皇の建武の新政(1330年代)で、綸旨でいろいろ命令を出したため、混乱が起きました。

 

Ⅱ 異国警固番役が始まり、以前は対象外であった非御家人も軍事動員された。

→ これは、鎌倉時代中期(13世紀末)
元寇(1274年文永の役、1281年弘安の役)への対応として、異国警固番役(沿岸警備)が始まりました。

 

Ⅲ 一条兼良が、幕府の裁判制度への意見などをまとめ、将軍に与えた。

→ 一条兼良(いちじょうかねよし)は、室町時代の公家(15世紀)です。
将軍足利義政(在位:1449~1473年)に意見を述べたことで知られています。

選択肢1. Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ

順番が違うため不正解です。

選択肢2. Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ

順番が違うため不正解です。

選択肢3. Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ

正しい年代順です!【正解】

選択肢4. Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ

順番が違うため不正解です。

選択肢5. Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ

順番が違うため不正解です。

選択肢6. Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

順番が違うため不正解です。

まとめ

鎌倉時代中期、元寇対策として異国警固番役が始まり、非御家人も動員されました。
鎌倉時代末期~南北朝期には、綸旨が濫発されて混乱し、
室町時代には、公家の一条兼良が幕府に対して裁判制度への意見を述べました。

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