大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問37 (日本史B(第1問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問37(日本史B(第1問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章Bは、「日本社会における戦士の歴史」をテーマに自由研究を進めていた高校生のかずこさんとたけしさんとの会話である。この文章を読み、後の問いに答えよ。

B
かずこ:ところで、その後に続く江戸時代は泰平の時代と言われて、戦うことを本業とする武士って、本当は社会に必要とされていなかったんじゃない?
たけし:そのことは江戸時代の武士たちも意識していたようだよ。先生から教えてもらったんだけど、岡山藩主の池田光政は、家臣である岡山藩士の武士たちにむけて、「私のような大名は、人民を将軍様からお預かりしているのだから、おまえたちは主君である私を補佐して、人民が安心して暮らせるようにすべきなのだ」と説いたんだって。
かずこ:なるほど。江戸時代の武士は単に戦う「兵」ではなくて、中国や朝鮮の「士大夫」と同じように、c ある程度は学問を身につけて政治のことを考える「士」にならないといけないってことだね。
たけし:そうそう、「士」と「兵」との違いって意外に大事だよ。d 明治になると、武士という存在は不要とされていくよね。ただ近世でも近代でも、軍隊の末端には、実態として多くは農民が動員されていたわけで、「兵と農」よりも「士と兵」との違いがどう生み出されたかが大事だという指摘もあるよ。
かずこ:陸軍や海軍の士官というのはエリートで、兵卒とは区別されていたようだから、「士」の「兵」に対する優越感は、近代になっても簡単には解消されなかったみたいだね。

下線部cに関連して、17世紀後半の藩主が学問を奨励した事績について述べた文として正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 池田光政は、熊沢蕃山を招き、藩士に蘭学を学ばせた。
  • 保科正之は、藩士に学問を奨励し、『群書類従』を編纂した。
  • 前田綱紀は、木下順庵を招き、藩士の学問の振興を図った。
  • 徳川光圀は、藩士に教訓を示すため、『本朝通鑑』を編纂した。

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この過去問の解説 (1件)

01

【人物ごとの整理】

池田光政(いけだみつまさ)

岡山藩主。熊沢蕃山(くまざわばんざん)を登用して藩政改革を行いました。

ただし、「藩士に蘭学を学ばせた」というのは誤りです。蘭学が盛んになるのはもっと後(18世紀後半~江戸後期)になります。

 

保科正之(ほしなまさゆき)

会津藩主。藩士に学問を奨励したのは正しいですが、 『群書類従』を編纂したのは塙保己一(はなわほきいち)で、時代がもっと後(18世紀後半)です。

 

前田綱紀(まえだつなのり)

加賀藩主。木下順庵(きのしたじゅんあん)を招いて、藩士の学問を奨励しました。
 

徳川光圀(とくがわみつくに)

水戸藩主。歴史書『大日本史』の編纂を始めた人物です。
→ 『本朝通鑑』ではありません。

選択肢1. 池田光政は、熊沢蕃山を招き、藩士に蘭学を学ばせた。

熊沢蕃山を登用したのは正しいですが、蘭学を学ばせたわけではありません。

選択肢2. 保科正之は、藩士に学問を奨励し、『群書類従』を編纂した。

学問奨励は正しいですが、『群書類従』の編纂は保科正之ではありません。

選択肢3. 前田綱紀は、木下順庵を招き、藩士の学問の振興を図った。

正しい内容です。【正解】

選択肢4. 徳川光圀は、藩士に教訓を示すため、『本朝通鑑』を編纂した。

徳川光圀は『大日本史』の編纂を始めたため、誤りです。

まとめ

前田綱紀は加賀藩の藩政を整え、木下順庵を招いて藩士に儒学を奨励しました。
また、徳川光圀は『大日本史』の編纂を始め、歴史学の発展にも大きく寄与しました。
蘭学や『群書類従』はもう少し後の時代の話になります。

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