大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問33 (世界史B(第6問) 問6)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問33(世界史B(第6問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上の建築物について述べた次の文章Bを読み、後の問いに答えよ。

B 次の図は、ウィーンにある「( ア )=ホーフ」と呼ばれる建物の写真を一部加工したものである。「ホーフ」は館や中庭を意味するドイツ語である。
b 19世紀以降、都市化が進展したヨーロッパでは、公衆衛生や福祉政策が整備されたc ハプスブルク家の拠点であったウィーンでも、人口が急増するなか、特に労働者の住環境が悪化した。
第一次世界大戦後、社会主義運動が高まりを見せていたウィーンでは、労働者を支持基盤とする社会民主党が市政を掌握した。社会民主党は、1920年代から30年代にかけて、労働者の住環境改善を目指して、水道や電気、ガスの設備があり、家賃も安く抑えた市営住宅を建設した。「( ア )=ホーフ」もそうした市営住宅の一つで、1930年前後に建設され、21世紀の現在も住宅として使われている。

下線部cについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
問題文の画像
  • ポーランド分割に参加した。
  • 七年戦争によって、シュレジエンを確保した。
  • イギリスとの同盟は、外交革命と呼ばれた。
  • タンジマートと呼ばれる改革を推進した。

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この過去問の解説 (1件)

01

【問題文の整理】

「ハプスブルク家の拠点であったウィーン」とある。

つまり、ハプスブルク家(オーストリア)に関する正しい歴史事実を選びましょう。

選択肢1. ポーランド分割に参加した。

ハプスブルク家(オーストリア)はポーランド分割に参加しましたので、正しい内容です。【正解】

選択肢2. 七年戦争によって、シュレジエンを確保した。

シュレジエンを確保したのはプロイセンであり、ハプスブルク家ではありません。

選択肢3. イギリスとの同盟は、外交革命と呼ばれた。

ハプスブルク家はフランスとの同盟を外交革命と呼びますので、誤りです。

選択肢4. タンジマートと呼ばれる改革を推進した。

タンジマートはオスマン帝国で行われた改革であり、ハプスブルク家とは無関係です。

まとめ

18世紀末、ハプスブルク家(オーストリア)は、ロシア・プロイセンとともにポーランド分割に参加し、領土を拡大しました。
七年戦争ではシュレジエンをプロイセンに奪われ、外交革命ではフランスと同盟を結び、オスマン帝国のタンジマートとは無関係です。

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