大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問26 (世界史B(第5問) 問6)
問題文
C 次のグラフ1・2は、1914年から1939年までのアメリカ合衆国における経済情勢についての統計である。グラフ1は、国内労働者の失業者の割合を、百分率で示したものである。グラフ2は、年ごとの連邦政府の財政支出額を示したものである。これらの統計を見ると、この時代の出来事が、アメリカ合衆国の経済に様々な影響を与えていたことが分かる。さらに、経済情勢が悪化すると、国家は積極的に経済に介入するようになる。b 特に世界恐慌が発生すると、各国は様々な政策的対応を迫られた。
グラフ1・2から読み取れる、1914年から1939年までに起こった事柄について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問26(世界史B(第5問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)
C 次のグラフ1・2は、1914年から1939年までのアメリカ合衆国における経済情勢についての統計である。グラフ1は、国内労働者の失業者の割合を、百分率で示したものである。グラフ2は、年ごとの連邦政府の財政支出額を示したものである。これらの統計を見ると、この時代の出来事が、アメリカ合衆国の経済に様々な影響を与えていたことが分かる。さらに、経済情勢が悪化すると、国家は積極的に経済に介入するようになる。b 特に世界恐慌が発生すると、各国は様々な政策的対応を迫られた。
グラフ1・2から読み取れる、1914年から1939年までに起こった事柄について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。

- アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦した年から翌年にかけては、アメリカ合衆国の国内の失業率は上昇した。
- ニューディール政策が実施された時期に、アメリカ合衆国の連邦政府の歳出総額は最大になった。
- 「暗黒の木曜日」と呼ばれる、ニューヨークにおける株式相場の大暴落よりも後に、アメリカ合衆国の国内の失業率は最も高くなった。
- ワシントン会議において国際的な軍縮が図られた時期に、アメリカ合衆国の連邦政府の歳出総額は最小になった。
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この過去問の解説 (1件)
01
【グラフの確認】
▼グラフ1(失業率)
・1929年から急上昇
・1932〜1933年ごろにピーク(失業率25%前後)
▼グラフ2(歳出総額)
・第一次世界大戦(1917〜1918年)中に急増
・戦後は急減、その後安定して低め
・1930年代後半(1933年以降)に再び上昇
戦時中は軍需景気により失業率はむしろ低下しましたので、誤りです。
ニューディール政策で歳出は増加しましたが、最大だったのは第一次世界大戦中の1918年頃でしたので、誤りです。
正しい内容です。【正解】
ワシントン会議の時期(1921~22年)には歳出は減少傾向にありましたが、最小ではなく、その後さらに低下していますので誤りです。
1929年のニューヨーク株式市場大暴落(暗黒の木曜日)をきっかけに、アメリカ経済は大不況に陥りました。
その後、失業率は急激に上昇し、1932~1933年にピークに達しました。
また、ニューディール政策が始まった1933年以降も完全な回復には至らず、連邦政府の財政支出は増加しましたが、最大となったのは第一次世界大戦中(1918年)でした。
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