大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問25 (世界史B(第5問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問25(世界史B(第5問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

歴史の研究において、ある地域や国の歴史をどのような視点から捉えるかは重要である。それについて述べた次の文章Bを読み、後の問いに答えよ。

B ポリュビオス(ポリビオス)は、ローマの興隆を「史上かつてない大事件」と捉え、ポエニ戦争を出発点として『歴史』を著した。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
その冒頭部分で彼は、ローマの権勢と比較すべき対象として、「これまでの歴史家たちが最大の精力を傾けて記録にとどめた過去の大国のうちでも、とりわけ史上に名高い国々」を、時系列に沿って三つ挙げている。一つ目の国は、ギリシアとの戦争がヘロドトスの史書の主題ともなった( エ )で、この国が「ある時期に広大な帝国と支配権を手に入れた。だが無謀にもアジアの境界を越え出ては、そのたびに帝国のみならず自身の生存さえも危険にさらした」と述べる。二つ目の国はスパルタであり、「長年にわたってギリシアの覇権をめぐる争いを続けた末に、ようやく勝利を得たものの、それを無事に保持していたのは僅かにすぎなかった」とする。
そのうえでポリュビオスは、三つ目の国として( オ )を挙げて、次のように述べる。

( オ )はまずヨーロッパ内の支配領域を広げたが、これはヨーロッパ全域のほんの一部分にすぎない。その後、( エ )を滅ぼしてアジアにも覇権を拡大した結果、史上最大の地域と人口を配下に従えたと称賛されるようになったけれども、なお世界には依然手の届かない地域が多く残されていた。

ポリュビオスとは異なる言語で史書を著したリウィウスも、ローマ興隆の契機をポエニ戦争とみなし、これまでの戦争の中で最も記憶すべきものと述べて史書の一部を割く。ただし、リウィウスは、a ローマ王政期を史書の出発点とし、イタリア中心の叙述をしている。同様の執筆姿勢は、タキトゥスらにも受け継がれていく。

下線部aについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 十二表法が公開された。
  • コンスルが、政治を主導した。
  • コロッセウムが建設された。
  • 最後の王はエトルリア人であった。

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この過去問の解説 (1件)

01

【下線部aの内容確認】

問題文では、「リウィウスは、ローマ王政期を史書の出発点とした」と書かれていました。

つまり、ローマの王政時代(共和政以前)に関する知識を問われています。

選択肢1. 十二表法が公開された。

十二表法は共和政時代に成立した成文法であり、王政期には存在していません。

選択肢2. コンスルが、政治を主導した。

コンスル(執政官)は共和政移行後に設置された官職であり、王政期には王が統治していました。

選択肢3. コロッセウムが建設された。

コロッセウムは帝政ローマ時代、1世紀に建設されたもので、王政期とは無関係です。

選択肢4. 最後の王はエトルリア人であった。

正しい内容です。ローマ王政期最後の王はエトルリア人のタルクィニウス・スペルブスでした。【正解】

まとめ

ローマの王政期(伝承では紀元前753年〜前509年)は、7人の王が支配したと伝えられます。
そのうち最後の王、タルクィニウス・スペルブスはエトルリア人であり、彼の専制政治に対する反発から、ローマは王を追放して共和政へと移行しました。

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