大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問38 (日本史B(第1問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問38(日本史B(第1問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、高校生の陽菜(はるな)さんと大輝(だいき)さんとの会話である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(資料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

陽菜:個人名に注目してみると、小野妹子が男性であることも面白いね。
大輝:そうそう、最初は女性だとばかり思っていた。
陽菜:天皇家の名前を見てみると、「〇子」という女性名は、嵯峨天皇の時代に一般的になってくるみたいだよ。次の図には、嵯峨天皇の娘として、「正子内親王」「秀子内親王」「芳子内親王」の名前があるね。

大輝:あっ、本当だ。じゃあ、小野妹子の場合はどうなるの?
陽菜:妹子の生きた飛鳥時代には、蘇我馬子や中臣鎌子(鎌足)など、「子」は男性名として使われていたんだ。女性の場合、「〇姫(媛(ひめ)、比売(ひめ))」、「〇郎女(いらつめ)」、「〇売(め)(女)」が一般的だったみたいだね。
大輝:この系図を見ると、c 嵯峨天皇の子どもから名前のつけ方ががらりと変わってるのが分かるね
陽菜:そうなんだ。「山部」とか「大伴」は、どれも彼らの乳母の氏、養育氏族の名称なんだ。嵯峨天皇の親王になると、良い意味を持つ共通の漢字がつけられるようになる。d 個人名のつけ方って時代や社会の変化と関わっているんだ。今だって、個人名には流行があるよね。大正時代から現在までの個人名については、「生まれ年別名前ベスト10」が公開されているんだって。
大輝:面白そうだね。今度、調べてみよう。

下線部cに関連して、嵯峨天皇の子どもの名前の特徴とその背景に関して述べた次の文a~dについて、最も適当なものの組合せを、後のうちから一つ選べ。

a  養育氏族の名称が消滅し、和風化の影響が認められる。
b  養育氏族の名称が消滅し、唐風化の影響が認められる。
c  源の姓(せい)を持ち、天皇の子どもであっても臣下となる者が現れた。
d  親王の兄弟で同じ漢字が使われ、皇位継承の順番が明確になった。
問題文の画像
  • a・c
  • a・d
  • b・c
  • b・d

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この過去問の解説 (1件)

01

この問題は、嵯峨天皇の時代に見られる皇族の個人名の変化について、名前の特徴や背景を読み取る力が問われています。

 

 

 

会話の中で注目されているのは、嵯峨天皇以降の子どもたちの名前に見られる変化です。

たとえば、「山部」「大伴」といった名前は、乳母や養育氏族に由来しているのに対し、「正子」「秀子」「芳子」といった名前は、良い意味を持つ漢字を使った唐風(中国風)の名前になっています。

これにより、個人名に一定の格式や美的要素が加わったとされています。

 

それぞれの文を見ていきます。

a 養育氏族の名称が消滅し、和風化の影響が認められる。
→誤りです。

嵯峨天皇以降の名前はむしろ唐風化(中国風)が進んだとされています。

 

b 養育氏族の名称が消滅し、唐風化の影響が認められる。
→正しいです。

山部・大伴のような氏の名ではなく、「正」「秀」「芳」など漢字の意味を重視した唐風の命名が定着します。

 

c 源の姓(せい)を持ち、天皇の子どもであっても臣下となる者が現れた。
→正しいです。

嵯峨天皇は皇子たちに「源(みなもと)」の姓を与え、臣籍降下させたことで有名です。

これが後の「源氏」の始まりになります。

 

d 親王の兄弟で同じ漢字が使われ、皇位継承の順番が明確になった。
→誤りです。

漢字が共通で使われることはありましたが、それによって皇位継承の順番が明確になる制度ではありませんでした。

選択肢1. a・c

誤りです。

選択肢2. a・d

誤りです。

選択肢3. b・c

正しいです。

選択肢4. b・d

誤りです。

まとめ

嵯峨天皇の時代には、個人名から養育氏族の名前が消え、唐風の影響を受けた漢字名が登場します。

また、「源」姓のように天皇の子が臣下に降りる例も現れました。

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